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藤原鎌足(ふじわらかまたり)

豪族[日本]

(ユリウス暦) 0669年 11月14日 死去

藤原鎌足 - ウィキペディアより引用

藤原 鎌足 / 中臣 鎌足(ふじわら の かまたり / なかとみ の かまたり)は、飛鳥時代の貴族・政治家。
中臣御食子の子。
母は大伴智仙娘。
日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖。
大化の改新の中心人物であり、改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築いた。
『藤氏家伝』には「偉雅、風姿特秀」と記されている。
字は仲郎。
名称= 元々は中臣氏の一族で初期の頃には中臣 鎌子(なかとみ の かまこ)と名乗っていた(欽明天皇朝で物部尾輿と共に排仏を行った中臣鎌子とは別人)。
その後、鎌足(かまたり)に改名。
そして臨終に際して大織冠とともに藤原姓を賜った。
つまり、生きていた頃の彼を指す場合は「中臣鎌足」を用い、「藤原氏の祖」として彼を指す場合には「藤原鎌足」を用いる。
青木和夫の研究によれば、鎌子から鎌足へと「改名」したというのは後世の解釈であり、本来の名は“鎌”一文字で、“子”や“足”は敬称に用いる語尾であるとしている。
来歴= 『大織冠像』(ロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵)、室町時代(16世紀)の作。
藤原鎌足が半跏の姿で、息子の定恵・不比等の上段に座る。

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