喜味こいし 氏(きみこいし)
漫才師、夢路いとし・喜味こいし[日本]
2011年 1月23日 死去肺がん享年85歳
喜味 こいし(きみ こいし、1927年〈昭和2年〉11月5日 - 2011年〈平成23年〉1月23日)は、日本の漫才師、俳優。
実兄の夢路いとしと共に漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」のツッコミ担当として活動した。
本名は篠原 勲(しのはら いさお)。
神奈川県横浜市出身。
来歴・人物=
上方漫才を代表する人物であるが、川越出身とされているのは、一家が旅回りの芸人一家であったからたまたま川越で生を受けたという事情によるものである。
川越以外にも、全国津々浦々の地を少年時代から回っていた。
旅回り中に生まれたため出生届の提出が遅れ、戸籍上の生年月日は1927年11月5日となっているが、本当の生年月日は1927年8月6日であるとテレビ番組や新聞取材において明かしていた。
元々芝居の子役で舞台出演していた。
1940年に漫才師の名門とされる荒川芳丸一門に巡業先の岐阜で実兄の夢路いとし(本名:篠原博信 入門時の芸名:荒川芳博)とともに入門し、吉本興業から「荒川芳坊」という芸名でデビュー(「喜味こいし」に改名する前に一時父親の姓「山田」を使って「山田勲」と名乗っていた。
兄いとしは「山田博」)。
それからは全国各地にあった吉本が運営する寄席(ミナミの南陽館など)で稽古を積む。
その後兄のいとしが山口県の軍需工場に徴用されたためコンビは一時解散となり、こいしは志願兵として広島市で新兵教育を受けていた1945年8月6日(上記の発言が正確ならば満18歳の ……
喜味こいしさんが亡くなってから、13年と309日が経ちました。(5057日)