小川健太郎 氏(おがわけんたろう)
元プロ野球選手[日本]
(「黒い霧事件」に関与したとされる。)
1995年 10月8日 死去享年62歳
小川 健太郎(おがわ けんたろう、1934年1月12日 - 1995年10月8日)は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)。
現役時代は1964年から1970年まで中日ドラゴンズに所属し、1967年には29勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得、沢村賞を受賞するなど、アンダースローの好投手として活躍した。
また1967年から1970年まで4年連続で開幕投手を務めたが、これは1996年時点で球団最長となる連続開幕投手記録だった。
王貞治(読売ジャイアンツ)に対して腕を背中から繰り出す「背面投げ」を行った投手としても知られる。
しかし1970年、球界を震撼させた八百長事件である「黒い霧事件」への関与が疑われ、オートレース八百長に関与したとして逮捕される。
暴力団関係者から依頼された敗退行為に関与した池永正明・永易将之らと共に永久追放処分とされた。
通算成績は95勝69敗、防御率2.62。
来歴=
東映入団〜社会人野球移籍=
1934年1月12日に福岡県久留米市で生まれる。
福岡県立明善高等学校卒業後の1954年に東映フライヤーズへテスト生として入団するが、肩を痛めて僅か2年後に自由契約を通達された。
一説には、1955年8月27日の対西鉄ライオンズ戦でプロ初登板を果たす予定だったが、前日に先輩選手と殴り合いの喧嘩を起こしたことで登板を回避され、そのまま退団に至ったとも言われている。
東映フライヤーズを僅か2年で退団となった小川は一度プロ野球から離れ、社会人野球でのプレーを選択する ……
小川健太郎さんが亡くなってから、29年と176日が経ちました。(10768日)