小平浪平(おだいらなみへい)
実業家、日立製作所 創業者[日本]
1951年 10月5日 死去享年78歳
小平 浪平(おだいら なみへい、1874年1月15日 - 1951年10月5日)は、日本の技術者・実業家で、株式会社日立製作所の創業者である。
東京帝国大学工科大学電気工学科(現・東京大学工学部)を卒業し、日立製作所専務取締役や同社の初代取締役社長などを歴任した。
1910年には、国産初の5馬力誘導電動機(モーター)を完成させた。
来歴・人物=
小平は1874年1月15日、小平惣八、チヨの次男として栃木県下都賀郡家中村大字合戦場(現・栃木市都賀町合戦場)に生まれる。
合戦場小学校(後に栃木小学校に転校)、栃木高等小学校を経て上京、東京英語学校を卒業。
第一高等中学校を受験するも失敗し、その間に父が多額の借金を遺して病没。
兄が医師になる道を諦め、地元の銀行に就職することで学費を捻出すると言う苦難に見舞われる。
小平は一念発起し、1年の浪人を経て第一中学校(在学中に第一高等学校に改組)に合格。
東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業する。
小平は、大学時代は写真旅行に夢中になり1年留年し、決して成績優秀とは言えなかったが、この頃に外国技術に頼らない国産技術を興したいという強い思いを抱いた。
卒業後、藤田組小坂鉱山に電気主任技術者として入社し、発電所づくりに携わる。
1905年、也笑と結婚。
その後、広島水力電気株式会社、東京電燈株式会社(現・東京電力)を経て、1906年、久原鉱業所日立鉱山に工作課長として入社する。
工作課長時 ……
小平浪平が亡くなってから、73年と50日が経過しました。(26713日)