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三好長慶(みよしながよし)

戦国大名[日本]

(永禄7年7月4日没)

(ユリウス暦) 1564年 8月10日 死去享年42歳

三好長慶 - ウィキペディアより引用

三好 長慶(みよし ながよし)は、戦国時代の武将。
畿内・阿波国の戦国大名。
室町幕府の摂津国守護代、相伴衆。
細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好政権を樹立する。
その後は足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に争い、時に和議を結び畿内の支配者として君臨した。
織田信長に先行する「最初の戦国天下人」とも呼ばれる存在だが、現代での評価は芳しくなく、重臣・松永久秀と共に「下剋上をした悪党」として酷評されたり、「松永久秀の専横、壟断を許した凡庸な大名」と評されている。
近年は長江正一、今谷明、天野忠幸らによる研究が進み、再評価の兆しを見せている。
出自 山城国下五郡守護代であった三好元長の嫡男で、永正3年(1506年)に細川澄元に属して阿波国より上洛した三好之長の曾孫。
三好実休、安宅冬康、十河一存、野口冬長の兄。
正室は波多野稙通の娘、継室は遊佐長教の娘。
三好義興の父。
通称は孫次郎、官位は従四位下伊賀守、筑前守、後に修理大夫。
史料では「三筑(=三好筑前守)」の略称で彼の名が多く残っている。

戦国時代の武将。幼名千熊丸。元服後孫次郎、利長、範長、のち伊賀守、筑前守、修理大夫。父元長の戦死により10才で家督を継ぎ、2年後には管領細川晴元に仕える。将軍足利義輝と晴元に離反と帰参を繰り返し、ついには京に上り実権を掌握、畿内を中心に八か国を支配した。名君と謳われる一方、連歌を能くし当時の武将の中でも一級の教養人であった。永禄7年(1564)歿、43才。 (引用元 コトバンク)