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菊池章子 氏(きくちあきこ)

歌手[日本]

2002年 4月7日 死去心不全享年79歳

菊池章子 - ウィキペディアより引用

菊池 章子(きくち あきこ、1924年1月28日 - 2002年4月7日)は、東京市(現東京都)出身の歌手である。
本名は菊池 郁子。
妹は歌手の多摩幸子。
義子に大久保直彦、孫にcaminoのKIKUとBREATHのメンバーだった菊池一仁がいる。
経歴= 1924年(大正13年)1月28日(月曜日)、東京市の下谷に生まれる。
1927年(昭和2年)畑秀水の門下生となり琵琶を習う。
1930年(昭和5年)6才で免許皆伝となり、菊池錦祠を襲名する。
のちに菊池祠水となる。
その後、歌謡曲に興味を持ち、九段にあった「大村能章歌謡学院」に入った。
日華事変が起こった後は、学院の生徒と共に軍の病院などで慰問活動を行う。
女学校の低学年にもかかわらず、彼女が唄うと、アンコールの声が鳴り止まなかった。
1937年(昭和12年)コロムビア入社し、翌年「アイアイアイ」でデビューするも、同作は発売中止となる。
1939年9月「お嫁に行くなら」で本格デビュー。
「相呼ぶ歌」や「愛馬花嫁」がヒット。
その中でも、松竹映画『湖畔の別れ』の主題歌「湖畔の乙女」は大ヒットした。
戦後、テイチク移籍後の1947年(昭和22年)には、娼婦に身をやつした女性の心情が綴られた「星の流れに」を歌う。
最初はレコードが全く売れなかったが、娼婦らに口ずさまれるようになりロングヒットとなった。
また、母物栄花シリーズの主題歌「母紅梅の唄」などが大ヒット。
1948年(昭和23年)、作曲家の大久保徳二郎と結婚(1956年 ……

菊池章子さんが亡くなってから、22年と230日が経ちました。(8266日)