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保岡興治 氏(やすおかおきはる)

政治家[日本]

(元自民党衆議院議員、元法相)

2019年 4月19日 死去膵臓がん享年81歳

保岡興治 - ウィキペディアより引用

保岡 興治(やすおか おきはる、1939年5月11日 - )は、日本の政治家、弁護士。
自由民主党所属の衆議院議員(13期)、衆議院憲法審査会長。
元法務大臣(第69代、第81代)。
司法の畑を歩き続けてきた法務族議員のひとり。
来歴・人物 現在の東京都千代田区に生まれた(中学の途中までは鹿児島市内で育つ)。
父は衆議院議員の保岡武久。
鹿児島大学教育学部附属中学校から転校して千代田区立麹町中学校、東京都立日比谷高等学校卒業。
1964年に中央大学法学部を卒業する。
同年10月、24歳で司法試験合格(中大法学部の同窓で司法修習19期同期生に三瀬顕)。
1967年に判事補に任官し、鹿児島地方裁判所に裁判官として赴任するが、翌1968年に退官。
選挙後に弁護士登録。
1969年の第32回衆議院議員総選挙で父・武久が落選し引退を決めたため、総選挙に立候補することを決め、仲人の橋本登美三郎の秘書の肩書きを得る。
1972年の第33回衆議院議員総選挙に奄美群島区から無所属で立候補し、初当選。
当選後、自民党に追加公認され田中派に所属する。
1976年にロッキード事件で田中角栄が逮捕されると、保岡は弁護士として田中弁護団の一員に加わった。

やすおか-おきはる 1939-昭和後期-平成時代の政治家。昭和14年5月11日東京生まれ。鹿児島で育つ。昭和39年司法試験合格。42年鹿児島地方裁判所裁判官として赴任したが,翌年退官,のち弁護士登録。父・保岡武久のあとをつぎ,47年衆議院議員に初当選(当選13回,自民党)。自民党副幹事長などを歴任し,平成12年第2次森内閣の法相。20年福田改造内閣で再び法相に就任。21年裁判官弾劾裁判所裁判長に選出された。同年の総選挙で落選。24年総選挙で当選し,国政に復帰。中大卒。 (引用元 コトバンク)