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近藤昭仁 氏(こんどうあきひと)

プロ野球選手、監督、解説者[日本]

2019年 3月27日 死去敗血症性ショック享年82歳

近藤昭仁 - ウィキペディアより引用

近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
経歴・人物 プロ入りまで 近所の遊び友達に4歳年上の中西太がいた。
高松一高では、1955年夏、北四国大会出場を賭けた県予選準決勝に進出するが坂出商に敗退、甲子園には届かなかった。
1956年、早稲田大学第二商学部へ進学。
東京六大学リーグでは在学中2度優勝。
1959年春季リーグでは、それまで4連覇を続けてきた立大に競り勝ち、3年振りの優勝に貢献した。
同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で再試合の末、関学を降し優勝。
二塁手としてベストナインに2度選ばれている。
リーグ通算75試合出場し285打数72安打、0本塁打、23打点、打率.253。
大学同期に木次文夫一塁手がいた。
現役時代 1960年に大洋ホエールズへ入団。
背番号は1。
同年には同郷の先輩でもある三原脩が新たに監督となり、大洋は球団創設以来初の優勝を果たす。
近藤もルーキーながら5月には二塁手に定着、終盤戦には一番打者として奮闘し優勝に貢献。

プロ野球選手(二塁手)、指導者、解説者。 1938年4月1日生まれ。香川県出身。右投右打。 現役時代は同郷の先輩でもある三原脩監督のもと、1年目より活躍。ホエールズ球団創設以来初のセ・リーグ優勝、日本一を果たし、日本シリーズMVPを受賞。「超二流」*1と呼ばれメガトン打線を形成し、活躍を見せた。 1973年に現役引退し指導者に転進。TBS野球解説者、マスターズリーグ・東京ドリームスのコーチなどを歴任した。 次女・典子の夫は新日本プロレスの中西学。中西は近藤の娘婿にあたり、近藤は中西の義父にあたる。 ベイスターズ監督時代、漫画『ササキ様に願いを』では「ノーアウトかワンアウトでランナー三塁のときはスクイズしないと死んじゃう病」を患い、唯一の嫌われキャラクターとして登場していた。 (引用元 Hatena Keyword)