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芦田伸介 氏(あしだしんすけ)

俳優[日本]

1999年 1月9日 死去肝臓がん享年83歳

芦田伸介 - ウィキペディアより引用

芦田 伸介(あしだ しんすけ、1917年〈大正6年〉3月14日 - 1999年〈平成11年〉1月9日)は、日本の俳優。
本名:蘆田 義道(あしだ よしみち)。
満洲で演劇活動に加わり、敗戦の引き揚げ後に劇団民藝に入団。
1950年代からは日活のアクション映画に常連出演し、舞台を中心に映画・テレビドラマと幅広く活躍した。
渋い演技に定評があり、ドラマ『七人の刑事』『氷点』の演技で人気を得た。
著書に自伝『ほろにがき日々』など。
妻は元タカラジェンヌの香久美ひかる(本名:石川明子)。
娘婿は俳優の松山英太郎、孫は女優の由夏と俳優の芦田昌太郎。
来歴・人物= 1917年(大正6年)3月14日(水曜日)、島根県松江市に生まれる。
生家は松江藩の典医や剣術指南役を務めた家柄で、父は剣道教師だった。
松江商業学校(現:島根県立松江商業高等学校)を経て、東京外国語学校(現:東京外国語大学)のマレー語学科に入学する。
1937年(昭和12年)、学校を中退して満洲に渡り、大連で『ワーニャ伯父』の舞台を観て新劇の世界を志す。
満洲電業に勤める傍ら新京放送劇団に加わり、森繁久彌と知り合う。
1943年(昭和18年)、満洲映画協会の『血銭芙蓉』で映画に初出演する。
満洲在留中、芦田は石川明子という女性と恋愛関係にあった。
石川は新京の放送局でピアノ弾きをしていたが、渡満前は香久美ひかるという芸名のタカラジェンヌだった。
石川の父は満洲キリスト教団布教区長 ……

芦田伸介さんが亡くなってから、25年と321日が経ちました。(9452日)

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