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六角鬼丈 氏(ろっかくきじょう)

建築家[日本]

(東京藝術大学名誉教授)

2019年 1月12日 死去享年79歳

六角鬼丈 - ウィキペディアより引用

六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - )は日本の建築家、東京藝術大学名誉教授。
東京都出身。
本名は正廣。
祖父は漆芸家の六角紫水、父は漆芸家の六角大壌。
日本建築学会賞作品賞など受賞。
東京都立武蔵丘高等学校卒業。
1965年 東京藝術大学美術学部建築科卒業後、磯崎新アトリエに勤務。
1968年 六角デザイン工房(現・六角鬼丈計画工房)開設。
1979年 吉田五十八賞受賞。
1991年 日本建築学会賞作品賞受賞。
東京藝術大学美術学部建築科教授に就任。
2009年 東京藝術大学退官。
東京藝術大学名誉教授。
主な作品 1970年 石黒邸 1977年 雑創の森学園 1980年 塚田邸パートⅠ 1980年 金光教福岡高宮教会 1983年 石河邸 1984年 大雪展望台 1984年 花輪邸 1990年 東京武道館(日本建築学会賞) 1999年 東京藝術大学大学美術館 1995年 まんだら遊苑(富山県立山博物館) 2000年 感覚ミュージアム その他 野武士世代と伝えられている。

ろっかくきじょう(1941―2019) 建築家。東京生まれ。祖父六角紫水(しすい)は漆芸家として東京美術学校の一期生で横山大観、菱田春草(しゅんそう)らと岡倉天心に師事。父も漆芸家。鬼丈は1965年(昭和40)東京芸術大学美術学部建築科卒業後、磯崎新(あらた)のアトリエに勤め(1965~1969)、1969年独立、六角鬼丈計画工房を開設する。1991年(平成3)より東京芸術大学美術学部建築科教授(~2009)。東京芸術大学は六角が大学時代を過ごし、建築を学んだ地である。しかしその外縁に位置する六角の設計による東京芸術大学美術館(1999)からは、六角の学生当時芸大で教鞭をとっていた吉田五十八(いそや)、吉村順三といった、数寄屋(すきや)建築や住宅建築の巨匠の直接的な影響は見られない。磯崎アトリエに入所した当時は、アトリエ内は日本万国博覧会を目前に控え技術指向や未来指向が議論され、一方、当時の東京は学園紛争の最中であり、一歩外に出ると学生を中心とする反体制的活動が繰り広げられていた。六角は磯崎アトリエでの一連の仕事に決着をつけ、自立して事務所を構えるが、まず『都市住宅』などの建築雑誌へいくつものバージョンによる自邸計画案No.1~3(「伝家の宝塔」「心相器」「肉体訓練の道具と場」)を発表し、注目を浴びることになった。それは技術指向、未来指向を見せながらも、矛盾に満ちた批評的で個性的な計画案であった。1968年に実現した自邸を含む一連の小さな住宅は、「八卦(はっか)」に基づいた平面による「八卦ハウス」(1970、東京都)など、当時の建築界を風靡していた都市論からはかけ離れたテーマをもっていた。しかし …… (引用元 コトバンク)