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市川團十郎 氏(いちかわだんじゅうろう)

歌舞伎役者・11代目[日本]

(本名・堀越治雄)

1965年 11月10日 死去胃がん享年57歳

市川團十郎 - ウィキペディアより引用

市川 團十郞(いちかわ だんじゅうろう、新字体:団十郎)は歌舞伎役者の名跡。
屋号は成田屋。
定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。
役者文様は鎌輪ぬ(かまわぬ)。
解説 市川團十郎家は歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。
その長い歴史と数々の事績から、市川團十郎は歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。
團十郎と関わりの深い名跡に市川海老蔵がある。
前期の市川團十郎には團十郎 → 海老蔵と襲名する例が目立ち、後期にはこれが逆転して海老蔵 → 團十郎と襲名する例が目立つようになる。
先代の十二代目團十郎が最初に襲名したのが市川新之助、その子で当代の海老蔵が最初に襲名したのも市川新之助だったため、市川宗家では新之助 → 海老蔵 → 團十郎と襲名するのが通例だと誤解されがちだが、実際にかつて新之助を名乗った者がのちに團十郎を襲名したのは、この十二代目の他には七代目と八代目があるのみである(詳細は「市川海老蔵」の項を参照)。

【いちかわだんじゅうろう】 歌舞伎俳優。江戸劇界を代表する名家で,12世まである。屋号成田屋。初世〔1660-1704〕は初め段十郎。市川家のお家芸となった荒事(あらごと)の創始者。三升屋兵庫(みますやひょうご)の筆名で脚本も書き,元禄期の名優として坂田藤十郎と並称された。生島半六に刺されて舞台で横死。2世〔1688-1758〕は初世の長男。父譲りの荒事に和事(わごと)の演出を加え,《助六》《鳴神》などを創演。市川家の基礎を固めた。4世〔1711-1778〕は初世松本幸四郎の養子で,2世幸四郎を名乗ってから団十郎を襲名。5世〔1741-1806〕は4世の子。3世松本幸四郎から団十郎を襲名。寛政期の江戸歌舞伎を代表する名優。7世〔1791-1859〕は5世の孫。時代物,世話物,舞踊の各方面に活躍し,写実的な新作を開拓したほか,《勧進帳》を創演。また歌舞伎十八番を制定。晩年海老蔵と改名。その長男が8世〔1823-1854〕を継ぎ,幕末の江戸で空前の人気俳優となったが,若くして自殺。9世〔1838-1903〕は7世の五男。時代物と舞踊に長じ,文明開化の動きに応じて活歴物(かつれきもの)を創始。写実的で上品な芸風により歌舞伎の再興に努力し,新歌舞伎十八番を制定。俳優の社会的地位の向上に努め,劇聖といわれた。その女婿市川三升〔1880-1956〕に10世を死後追贈。11世〔1909-1965〕は7世松本幸四郎の長男で,10世団十郎の養子。1962年襲名。美貌とはなやかな芸風により戦後随一の人気俳優であった。12世〔1946-2013〕は11世の長男で1985年襲名。58歳で白血病を発症,以後闘病生活を抱えながら,パリ・オペラ座公演を成功させるなど活躍したが,13年2月肺炎のため死 …… (引用元 コトバンク)