大中恩 氏(おおなかめぐみ)
作曲家[日本]
(「いぬのおまわりさん」「サッちゃん」などで知られる)
2018年 12月3日 死去享年95歳
大中 恩(おおなか めぐみ、1924年7月24日 - 2018年12月3日)は、日本の作曲家。
男性。
土田藍(つちだ あい)という筆名で、自身の歌の作詞も手がけている。
父は『椰子の実』の作曲者である大中寅二。
詩人、作家の阪田寛夫は従弟に当たる。
経歴=
父親が霊南坂教会のオルガニスト兼合唱指揮者であったことから、歌を愛好するようになった(聖歌隊の女の子に惹かれたからだとも語っている)。
1942年に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)本科作曲部に入学し、信時潔に作曲を、橋本國彦に管弦楽法を、細川碧に対位法を師事した。
1943年の混声合唱曲『わたりどり』(詩:北原白秋)は戦地で果てる覚悟で書いたという。
1944年9月に学徒出陣で海軍予備学生として海軍に召集され、横須賀鎮守府の海軍対潜学校で学んだのち、横浜の監視隊に配属。
1945年9月、東京音楽学校を繰上げ卒業。
この頃の歌曲集「五つの抒情歌」、就中『しぐれに寄する抒情』(詩:佐藤春夫)『ふるみち』(詩:三木露風)は畑中良輔が初演し、現在でも愛唱されている。
その後1955年に中田喜直、磯部俶、宇賀神光利、中田一次と「ろばの会」を結成。
特にこどものための音楽をライフワークとし、精力的な活動を続けた。
混声合唱曲『煉瓦色の街』(1965年、秋山和慶指揮・日本合唱協会)で芸術祭奨励賞を受賞する。
以後女声合唱組曲『愛の風船』(1966年)、男声合唱曲『走れわが心』(1968年)、 ……
大中恩さんが亡くなってから、5年と360日が経ちました。(2186日)