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マリー・ローランサン 氏Marie Laurencin

画家彫刻家[フランス]

1956年 6月8日 死去心臓発作享年74歳

マリー・ローランサン - ウィキペディアより引用

マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883年10月31日 - 1956年6月8日)は、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家である。
生涯 マリー・ローランサンは1883年にパリで私生児として生まれた(ただし、資料によっては1885年生まれとなっている)。
父はのちに代議士となったアルフレッド・トゥーレだが、マリーは彼が父親だということを長い間知らなかった。
母はポーリーヌ・メラニー・ローランサン。
ラマルティーヌ高校に学び、画家を志し、アカデミー・アンベールで絵を勉強する。
ここでジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビズムの影響を受けた。
1907年にサロン・ド・アンデパンダンに初出展。
このころ、ブラックを介して、モンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)という安アトリエで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合った。
アポリネールと出会った時、彼は27歳、ローランサンは22歳。
二人は恋に落ちた。
だが1911年にアポリネールがモナ・リザ盗難事件の容疑者として警察に拘留された頃には(彼は無罪であったが)、ローランサンのアポリネールへの恋愛感情も冷めてしまった。

Marie Laurencin (1883−1956)。 20世紀初頭から中盤のフランスを代表する、女流画家。夢見がちな少女時代の後、有名なモンマルトルの集合アトリエ、「洗濯船」で製作を続ける。こうして、彼女の周りで、フォーヴィズムやキュビズムといった前衛的な流れは起こりつづけたが、彼女自身は、憂いを秘めた女性像を描き続けた。プーランクのバレエ「牝鹿」の舞台の衣装や背景も担当したことでも有名。 詩人のアポリネールと付き合っていたこともあるが、あやうくなっていた関係は、詩人がモナリザ盗難事件の被疑者となったときに潰えた。 その後、ドイツ人男爵との結婚やスペインへの亡命、離婚を経験。パリにふたたび戻ったローランサンは、作風を転換させ、以後、やさしいばら色と、灰色や白、黒を基調にした物憂い女性や少女像を描き続け、社交界を中心に人気画家となった。その一方で、ココ・シャネルの肖像画を、受け取り拒否されたことは有名。ローランサンの秘められた感情を、シャネルが拒んだからとも言われる。 ローランサンは生来、同性愛的な傾向も強く、生涯、ほとんど男性を描くことはなかった。例外的に、詩人のジャン・コクトーの肖像を残しているが、それも彼の中の女性性に惹かれて描いたという。 73歳でパリにて死去。 (引用元 Hatena Keyword)