浅井良二 氏(あさいりょうじ)
浅井企画社長[日本]
(コント55号・関根勤・小堺一機などを育てる)
2018年 10月9日 死去悪性リンパ腫享年84歳
浅井 良二(あさい りょうじ、1935年4月28日 - 2018年10月9日)は、日本の芸能マネージャー・芸能事務所経営者。
浅井企画の創業者であり、代表取締役社長を務めた。
本名は、二瓶 満(にへい みつる)。
福島県出身。
コント55号の初代マネージャーであり、関根勤らを見出した。
来歴=
俳優志望で、松竹ニューフェイスとして芸能界入りしたが、その後は芸能マネージャーとなる。
中川プロダクションで三木のり平や八波むと志のマネージャーを務めたのち、1968年9月に浅井企画を設立。
中川プロダクション時代に一緒だった坂上二郎を萩本欽一と共に迎え入れ、コント55号としてマネジメントを手掛ける。
代表取締役社長を務める一方、数々のお笑いタレントなどを輩出させた。
2018年10月9日、悪性リンパ腫による多臓器不全で死去、83歳没。
人物=
「1か月前に誕生日プレゼントを届ける」「全員が集合しきっていない状態で集合写真を撮るため、みんな目が半開きの写真」などのエピソードがあるほど、せっかちな性格や、私服が派手だったことでも知られ、それは自分の事務所の所属タレントの小堺一機、関根勤によるラジオ番組『コサキン』シリーズ(TBSラジオ)でよくネタにされたこともあった。
また、コサキンの番組とそのリスナーからは『ぺんてるちゃん』とも呼ばれ、他に『一人リオのカーニバル』『五反田のフェラーリ』(せっかちだから)などと呼ばれるなど親しまれていた。
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浅井良二さんが亡くなってから、6年と49日が経ちました。(2241日)