松岡洋右(まつおかようすけ)
政治家、外相[日本]
1946年 6月27日 死去病死享年67歳
松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 - 1946年(昭和21年)6月27日)は、日本の外交官、政治家。
南満洲鉄道(満鉄)総裁を務め、満洲国の実力者「弐キ参スケ」の一人とされた。
第2次近衛内閣では外務大臣に就任し、日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結を推進。
しかしドイツのソ連侵攻後は南進論が大勢を占める政府で北進論を主張し、第3次近衛内閣発足を機に事実上外相を解任された。
アメリカ合衆国外交官ジョセフ・グルーと親交があり、佐藤栄作は義理の甥にあたる(妹の娘婿で養子)。
生涯=
アメリカ留学=
1880年(明治13年)3月4日廻船問屋の四男として、山口県熊毛郡室積村(のちの光市室積)で生まれた。
洋右が11歳の時に父親が事業に失敗してしまい破産したことや、親戚が既に渡米して成功を収めていたことなどから、1893年(明治26年)に留学のため13才で渡米する。
渡米後は周囲の人々が多く信仰していたキリスト教の影響を受け、自らも入信に至る。
特に来日経験のあるオレゴン州ポートランドのアメリカ・メソジスト監督教会牧師メリマン・ハリス(Merriman Colbert Harris)のあたたかい信仰に見守られつつ、日本自由メソヂスト教会の指導者となる河辺貞吉から大きな影響を受け、洗礼(記録では1893年とある)を受けた。
彼は河辺を信仰の父、実父に代わる第二の父とし、終生交わりを大切にした。
後年に至っても米国ではメソジスト派の信者と述べ、「キリス ……
松岡洋右が亡くなってから、78年と149日が経過しました。(28639日)