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末永雅雄 氏(すえながまさお)

考古学者[日本]

1991年 5月7日 死去享年95歳

末永雅雄 - ウィキペディアより引用

末永 雅雄(すえなが まさお、1897年(明治30年)6月23日 - 1991年(平成3年)5月7日)は、日本の考古学者。
橿原考古学研究所初代所長。
関西大学名誉教授。
文学博士(龍谷大学・論文博士・1948年)。
大阪府南河内郡狭山村(現:大阪狭山市)生まれる。
日本学士院会員。
文化勲章受章者。
大阪狭山市名誉市民。
奈良県明日香村名誉村民。
経歴= 河内狭山の旧家の一人っ子として生まれた。
1904年に狭山尋常小学校入学、父親の勧めで狭山池周辺の土器片集めに熱中する。
隣家の陸軍大将植田謙吉に憧れて陸軍幼年学校入学を希望するも母親に反対され進学を断念、土器石器集めや、祖父が集めた古武器を眺めて暮らすうち、水戸学の学統をひく感化院院長高瀬真卿の日本刀の新聞連載を読み、高瀬と文通を始める。
1909年に親の反対を押し切って家を飛び出し、高瀬の書生となって刀剣鑑定術や歴史を学ぶ。
帰郷後、古物研究に奈良帝室博物館に日参する日々を送る。
1917年(大正6年)、許嫁と結婚後、大阪の騎兵第四連隊第三中隊に入隊。
1920年に関保之助に師事し、有職故実、考古学の指導を受ける。
1926年に京都帝国大学の考古学研究室員となり、濱田耕作に考古学、西田直二郎に史学を学ぶ。
その後、京大に在籍しつつ、1927年(昭和2年)に奈良県史蹟名勝天然記念物調査会嘱託・考古学担当として発掘・研究(唐古・鍵遺跡、石舞台古墳、円照寺裏山古墳等)を行う。
1934年に刊 ……

末永雅雄さんが亡くなってから、33年と200日が経ちました。(12253日)

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