平井康三郎 氏(ひらいこうざぶろう)
作曲家[日本]
2002年 11月30日 死去肺炎享年93歳
平井 康三郎(ひらい こうざぶろう、1910年(明治43年)9月10日 - 2002年(平成14年)11月30日)は、日本の作曲家。
本名、平井保喜(ひらい やすき)。
経歴=
高知県吾川郡伊野町(現:いの町)出身。
父親・惣太郎の影響で、家にはオルガンや蓄音器がある等、音楽的に恵まれた環境で育った。
伊野小学校から、1923年(大正12年)に旧制土佐中学校(現:土佐中学校・高等学校)入学。
土佐中学校在学中に当時の校長:三根円次郎(ディック・ミネの父)が生徒向けに用意していた蓄音機で音楽を聴き、独学でヴァイオリンを練習したことがNHKのラジオ番組で息子の平井丈一朗によって語られた。
1929年(昭和4年)に東京音楽学校(現:東京藝術大学音楽学部)ヴァイオリン科に進学し、ローベルト・ポラックに師事して1934年(昭和9年)に卒業。
同校研究科作曲部でクラウス・プリングスハイムに作曲と指揮法を師事して1936年(昭和11年)に修了した。
1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)の期間、東京音楽学校で教鞭を取る傍ら、作曲活動を行い、「平城山」や「スキー」などを作曲した。
その後は、文部省教科書編纂委員として音楽教科書編纂等に携わる。
また、NHK専属作曲・指揮者、合唱連盟理事、日本音楽著作権協会理事、大阪音楽大学教授等を歴任。
1965年(昭和40年)、「詩と音楽の会」を結成。
日本の新しい歌曲、合唱曲集の創作活動を行う。
作品は、器楽、声楽(洋楽・邦楽) ……
平井康三郎さんが亡くなってから、21年と358日が経ちました。(8028日)