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島津重豪(しまづしげひで)

薩摩藩主[日本]

(藩の改革を推し進めるが財政は悪化した、天保4年1月15日没)

1833年 3月6日 死去享年89歳

島津重豪 - ウィキペディアより引用

島津 重豪(しまづ しげひで)は、江戸時代後期の大名。
島津氏の第25代当主。
薩摩藩の第8代藩主。
江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の正室(御台所)である広大院の父。
将軍の岳父として高輪下馬将軍と称されるほど権勢を振るう一方で、学問・ヨーロッパ文化に強い関心を寄せ、蘭癖大名・学者大名としても名を馳せた。
生涯= 延享2年(1745年)11月、分家の加治木島津家当主・島津久門(後の重年)の長男として生まれた。
幼名は善次郎。
母の都美は善次郎を出産したその日のうちに19歳で死去する。
父が本家に復して薩摩藩主になると、加治木島津家を継ぎ、宝暦3年(1753年)12月、諱を久方(ひさかた、通称は兵庫)とする。
父の病弱に加え、翌年2月2日に父の継室・於村が死去し宗家で嗣子誕生が望めなくなったため、同8月に重年の嗣子として本家に迎えられ、忠洪(ただひろ、通称は又三郎)に改名。
宝暦5年(1755年)6月、父・重年が死去したため、11歳で家督を継いだ。
加治木島津家はこの後、知覧島津家(佐多氏嫡家)当主・島津久峰の長男で重豪の従弟にあたる久徴が名跡継承するまでの19年間、当主不在となる。
宝暦8年(1758年)6月、元服し父と同じく9代将軍・徳川家重の偏諱を賜って重豪に改名、従四位下・左近衛権少将兼薩摩守に叙任される。
年少のために祖父の島津継豊が藩政を担った。
宝暦10年(1760年)に継豊が死去すると、継豊の弟で重豪の外祖父にあたる島津 ……

島津重豪が亡くなってから、191年と268日が経過しました。(70031日)