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貞明皇后(ていめいこうごう)

皇族、大正天皇皇后[日本]

1951年 5月17日 死去狭心症享年68歳

貞明皇后 - ウィキペディアより引用

貞明皇后(ていめいこうごう、1884年〈明治17年〉6月25日 - 1951年〈昭和26年〉5月17日)は、日本の第123代天皇・大正天皇の皇后(在位:1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日 - 1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日)。
諱は節子(さだこ)。
お印は藤。
旧名は、九条 節子(くじょう さだこ)。
昭和天皇の母。
元華族。
公爵・九条道孝令嬢。
ハンセン病の予防など救らい事業や福祉事業、蚕糸業(絹糸)奨励などに尽力した。
一夫一妻制での最初の皇后。
藤原氏から立后した最後の例である。
生涯= 生い立ち= 1884年(明治17年)6月25日、公爵九条道孝の四女として、生母の野間幾子の実家である東京府神田錦町(現:東京都千代田区神田錦町)に誕生。
道孝は明治4年(1871年)に正室和子を亡くしており、幾子は道孝の側室だった。
同年7月、東京府東多摩郡高円寺村(現:杉並区)近郊の豪農である大河原金蔵、てい夫妻に里子に出され、『九条の黒姫様』(くじょうのくろひめさま)と呼ばれるほど逞しく育った。
農家の風習の中で育ち、栗拾いやトンボ捕りをするなど裸足で遊んだ。
大河原家は高円寺地域の氏神である氷川神社の氏子であったが、大河原家の敷地内には稲荷神社の祠もあった。
また、養母のていは仏教への信仰心も篤く、早朝から観音経(法華経の一部)を読経しており、節子もていと共に仏壇に手を合わせていた。
1888年(明治21年)には、赤坂福吉町の九条家に戻る ……

貞明皇后が亡くなってから、73年と191日が経過しました。(26854日)