大村能章(おおむらのうしょう)
作曲家[日本]
1962年 1月23日 死去肺がん享年70歳
大村 能章(おおむら のうしょう、1893年(明治26年)12月13日 - 1962年(昭和37年)1月23日)は昭和期の作曲家。
本名:大村秀弌。
略歴=
1893年(明治26年)12月13日 - 山口県防府市多々良に米穀商大村良之助、ユフの長男として生まれる。
1909年(明治42年) - 横須賀海軍軍楽隊に入隊。
1920年(大正9年) - 帰郷後、御園ツネ子と結婚。
1女を得る。
1926年(大正15年) - 再上京して作曲家をめざす。
1931年(昭和6年) - 日本歌謡学院を創設。
1933年(昭和8年) - レコード音楽芸術講義録(通信教育)を出版、後進の育成にあたる。
1935年(昭和10年) - 藤田まさとの詞に曲をつけた「旅笠道中」が大ヒット。
1947年(昭和22年) - 日本音楽著作者組合(後の日本音楽著作権協会)を設立。
1957年(昭和32年) - 社会奉仕会『能章会』を設立
1958年(昭和33年) - 日本作曲家協会設立に参画
1962年(昭和37年)1月23日 - 肺癌のため死去。
享年69。
生誕地である防府市佐波神社には大村能章顕彰碑が建っている。
自身が作曲した「同期の桜」(原題戦友の唄)については、死ぬまで自分が作曲したとは口にしなかったという。
代表曲=
城崎温泉節(昭和元年)[野口雨情作詞]
旅は鼻唄(昭和10年1月)[佐藤惣之助作詞、歌:東海林太郎]
旅笠道中(昭和10年4月)[藤田まさと作詞、歌:東海林太郎]
お伝地獄の唄(昭和10年8月)[藤田まさと作詞、歌:新橋喜代三]
博多小女郎波枕(昭和10年9月)[藤 ……
大村能章が亡くなってから、62年と305日が経過しました。(22951日)