飯田蝶子(いいだちょうこ)
女優[日本]
1972年 12月26日 死去肺がん享年76歳
飯田 蝶子(いいだ ちょうこ、1897年4月15日 - 1972年12月26日)は、日本の女優。
本名は茂原 てふ(旧姓は飯田)。
松坂屋店員など様々な職を経て松竹蒲田撮影所に入社。
庶民派の老女役や祖母役などの老け役を多く演じて「日本を代表するお婆さん女優」として親しまれた(出演本数は300本を超え、息の長い活躍を見せた)。
水木歌紅(栗島すみ子)の弟子として、水木 歌門の名で水木流日本舞踊の名取も務めた。
夫は撮影技師の茂原英雄。
来歴・人物=
生い立ち=
1897年(明治30年)4月15日、東京府東京市浅草区堀端(現在の東京都台東区浅草)に生まれる。
父の操は一人娘だった母・せいの婿養子で、逓信省の下級役人だったが、家が貧しかったため、飯田が2歳の頃に本所区緑町に住む母方の祖母の近所へ転居する。
飯田は長女だが、後に4人の姉弟が生まれていくと更に家計は苦しくなり、育ちざかりの姉弟は栄養失調で鳥目になった。
そのため飯田は、若干の家作を持っていた祖母に引き取られる。
子供の頃は、近所の寿座という歌舞伎小屋に芝居を見に行っては芝居ごっこをして遊んでいた。
私立の幸田小学校などで学んだあと、祖母の援助で上野高等女学校へ進むが、両親の家計のやりくりから生じる夫婦喧嘩を見るに忍びず、少しでも母を楽にしようと、夜に上野公園の納涼博覧会で女監視人として働く。
日給13銭のアルバイトだったが、働いてお金を貰うことに面白さを感じ、自然 ……
飯田蝶子が亡くなってから、51年と333日が経過しました。(18961日)