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猪俣公章 氏(いのまたこうしょう)

作曲家[日本]

1993年 6月10日 死去享年56歳

猪俣 公章(いのまた こうしょう、1938年〈昭和13年〉4月11日 - 1993年〈平成5年〉6月10日)は、日本の作曲家・作詞家。
福島県河沼郡会津坂下町出身。
本名は同じ漢字表記で「いのまた きみあき」と読む。
経歴・人物= 旧制京都帝国大学工学部電気工学科出身で東北電力勤務の父と、福島市で料亭を経営する母の間に生まれた。
家は猪俣総本家であった。
小学5年生の頃から作曲をするようになり、中学時代に作曲家を志望する。
中学卒業後は上京して開成高等学校に進学。
高校卒業後は実家の家計が苦しくなったため、入学金を稼ぐために1年間の浪人生活を選ぶ。
喫茶店のボーイ、ペンキ職人、バーテンダーなどで入学金を稼いだ。
1958年に日本大学芸術学部音楽科へ入学。
入学後は新橋や銀座のキャバレーでバンド演奏のアルバイトを務め、ベースを担当。
大学3年次の1960年に古賀政男が設立したプロダクションにスタッフとして採用され、事実上の門下生として師事。
大学卒業後の1962年にビクターレコードと契約。
1964年、鈴木やすし『僕の手でよかったら』作曲家デビュー。
1966年に森進一のデビュー作にしてヒット作となった『女のためいき』を作曲、その後も森に『ひとり酒場で』『港町ブルース』『おふくろさん』『波止場町』『冬の旅』『さらば友よ』などの大ヒット曲を提供する。
他にも水原弘『君こそわが命』、藤圭子『女のブルース』『京都から博多まで』『別れの旅 ……

猪俣公章さんが亡くなってから、31年と196日が経ちました。(11519日)