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藤山一郎 氏(ふじやまいちろう)

歌手作曲家[日本]

1993年 8月21日 死去享年83歳

藤山一郎 - ウィキペディアより引用

藤山 一郎(ふじやま いちろう、1911年〈明治44年〉4月8日 - 1993年〈平成5年〉8月21日)は、日本の歌手、声楽家、作曲家、編曲家、指揮者。
本名︰増永 丈夫(ますなが たけお)。
位階は従四位。
本名ではクラシック音楽の声楽家・バリトン歌手として活躍した。
東京府東京市日本橋区蛎殻町(現東京都中央区日本橋蛎殻町)出身。
東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を首席で卒業。
東京音楽学校で培った正統な声楽技術、歌唱法、音楽理論と、ハイバリトンの音声を武器にテナーの国民的歌手・流行歌手として活躍。
1930年代から1940年代にかけて『酒は涙か溜息か』、『丘を越えて』・『東京ラプソディ』、『青い山脈』、『長崎の鐘』など、数多くのヒット曲を世に送った。
理論や楽典に忠実に歌ったことから正格歌手と呼ばれ、その格調高い歌声は「楷書の歌」と評された。
1992年(平成4年)、スポーツ選手以外では初めて国民栄誉賞を生前に受賞した。
人物・来歴= 幼少期・少年時代= 藤山は1911年(明治44年)4月8日、東京府東京市日本橋区蛎殻町(後の東京都中央区日本橋蛎殻町)に、同区長谷川町(後の東京都中央区日本橋堀留町二丁目南部)のモスリン問屋・近江屋の三男(5人きょうだいの末っ子)として生まれた。
父の信三郎は近江屋の番頭で、母のゆうは店主の養女であった。
幼少期は、家業が順調であった上、母のゆうが株式投資の収益で日本橋区一帯に借家を建て多 ……

藤山一郎さんが亡くなってから、31年と97日が経ちました。(11420日)

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