ジョルジュ・ビゴーGeorges Ferdinand Bigot
画家[フランス]
1927年 10月10日 死去脳卒中享年68歳
ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー(フランス語: Georges Ferdinand Bigot, 1860年4月7日 - 1927年10月10日)は、フランス人の画家、挿絵画家、漫画家、銅版画家。
1882年(明治15年)から1899年(明治32年)にかけて日本に17年間滞在し、当時の日本の世相を伝える多くの絵を残したことで知られる。
晩年は筆禍のため日本を去った。
署名は「美郷」「美好」ともある。
生涯=
訪日まで=
1860年にパリで生まれる。
父は官吏、母はパリの名門出身の画家。
母の影響を受けて幼い頃から絵を描き始める。
4歳のとき妹が生まれ、8歳の時に父が亡くなる。
1871年3月から5月にかけてのパリ・コミューンでは、その成立から崩壊にいたるまで、燃えさかるパリの街や戦闘・殺戮をスケッチして回っている。
エコール・デ・ボザールの入り口
1872年にエコール・デ・ボザールに入学して絵を学ぶが、家計を助けるために1876年に退学して挿絵の仕事を始める。
在学中はジャン=レオン・ジェロームや肖像画で知られるカロリュス=デュランの指導を受けた。
退学後、サロンに出入りして、日本美術愛好家として知られたフェリックス・ビュオやアンリ・ゲラールから日本美術についての知識を得、挿絵の仕事で出会ったエミール・ゾラやエドモン・ド・ゴンクールなどからもジャポニスムを知るようになる。
1878年、フェリックス・レガメが旅行記『日本散策』を出版、同年のパリ万国博覧会では浮世絵と出会って興味を ……
ジョルジュ・ビゴーが亡くなってから、97年と50日が経過しました。(35479日)