芸能人・経営者のおくやみ情報

升田幸三 氏(ますだこうぞう)

将棋棋士[日本]

1991年 4月5日 死去享年74歳

升田幸三 - ウィキペディアより引用

升田 幸三(ますだ こうそう/ますだ こうぞう、1918年〈大正7年〉3月21日 - 1991年〈平成3年〉4月5日)は、将棋棋士、実力制第四代名人。
棋士番号18。
木見金治郎の弟子であり、木村義雄・塚田正夫・大山康晴と死闘を演じ、木村引退後は大山と戦後将棋界で覇を競った。
昭和の将棋界で一番のスター棋士である。
名前の読みは「こうそう」であるが、将棋界では「こうぞう」で通した。
経歴= 父栄一、母カツノの四男として生まれる。
1932年(昭和7年)2月に「日本一の将棋指し」を目指して家出。
家出の時に愛する母の使う物差しの裏に墨でしたためた「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら…」の文言は、後に現実のものとなる(詳細は後述)。
広島市での飲食店やクリーニング店の丁稚奉公など紆余曲折を経て、大阪の木見金治郎八段の門下生となる。
同門の先輩には大野源一、角田三男、また後輩には終生のライバル大山康晴がいる。
初段でプロになるまで(当時のプロ棋士は初段からだった)が長かったが、1934年(昭和9年)2月に初段になってから、めきめきと頭角を現す。
この頃、坂田三吉から「あんたの将棋は大きな将棋や、木村義雄を倒せるのはあんただけや」と激励される。
1935年(昭和10年)関西にも奨励会ができ、当時三段だった升田も本来は奨励会員となるはずであったが、特別の強さを認められ三段でありながら引き続き新聞棋戦に登場していた。
1939年(昭和14年 ……

升田幸三さんが亡くなってから、33年と232日が経ちました。(12285日)

推定関連画像