スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ 氏Stanisław Skrowaczewski
指揮者、作曲家[ポーランド→アメリカ]
2017年 2月21日 死去享年95歳
スタニスワフ・パヴェウ・ステファン・ヤン・セバスティアン・スクロヴァチェフスキ(ポーランド語: Stanisław Paweł Stefan Jan Sebastian Skrowaczewski [staˌɲiswaf skrɔvaˈt͡ʂɛfskʲi], 1923年10月3日 - 2017年2月21日)は、ポーランド出身の指揮者、作曲家。
ファースト・ネームは、日本では英語読み「スタニスラフ」で表記されることが多い。
人物・来歴=
ポーランドのルヴフ(現ウクライナ、リヴィウ)生まれ。
4歳でピアノとヴァイオリンを始め、7歳でオーケストラのための作品を作曲したという。
11歳でピアニストとしてリサイタルを開き、13歳でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾き振りするなど、神童ぶりを発揮した。
しかし、第二次世界大戦中の1941年、ドイツ軍の空襲によって自宅の壁が崩れて手を負傷したため、ピアニストの道を断念。
以後、作曲と指揮に専念するようになった。
1946年にブロツワフ・フィルハーモニー管弦楽団の、1949年にカトヴィツェ・フィルハーモニー管弦楽団の、1954年にクラクフ・フィルハーモニー管弦楽団の、それぞれ指揮者を務める。
1956年、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。
同年、ローマの国際指揮者コンクールに優勝。
1958年には、ジョージ・セルから招かれて渡米。
クリーブランド管弦楽団を指揮してアメリカデビューを果たした。
その後、1960年-1979年ミネアポリス交響楽団(現ミネソタ管弦楽団)音楽監督(その後 桂冠指揮 ……
スタニスワフ・スクロヴァチェフスキさんが亡くなってから、7年と276日が経ちました。(2833日)