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高見順 氏(たかみじゅん)

作家詩人[日本]

1965年 8月17日 死去食道がん享年59歳

高見順 - ウィキペディアより引用

高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、1907年1月30日 - 1965年8月17日)は日本の小説家、詩人。
1907年福井県知事阪本釤之助の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。
母・高間古代(コヨ)は阪本が視察で三国を訪れた際に夜伽を務めた女性。
1908年母と共に上京。
実父と一度も会うことなく、東京麻布飯倉にあった父の邸宅付近の陋屋に育つ。
私生児としてしばしばいじめを受けた。
阪本家からは毎月10円の手当てを受けていたがそれでは足りず、母が針仕事で生計を立てた。
1924年東京府立第一中学校卒業、第一高等学校文科甲類入学。
一高社会思想研究会に入会。
1925年ダダイスムの雑誌「廻転時代」を創刊。
1926年校友会文芸部委員に就任。
1927年一高卒業、東京帝国大学文学部英文学科入学。
同人雑誌「文芸交錯」創刊に参加。
1928年左翼芸術同盟に参加、機関紙「左翼芸術」に小説『秋から秋まで』を発表。
東大内の左翼系同人雑誌7誌が合同して「大学左派」創刊に参加。
劇団制作座の仕事に従事し劇団員だった石田愛子と知り合った。

  • 題名
    泣かさないで
    歌手
    発売元
    キングレコード
    発売日
    2002年9月25日
    新品価格
    より
    中古商品
    ¥ 780 より

たかみじゅん [生]1907.2.18.福井,三国[没]1965.8.17.千葉小説家。本名,高間義雄,のち芳雄。第一高等学校を経て1930年東京大学英文科卒業。労働運動やナップに参加して33年検挙され,転向。留置中妻に去られ,転向と家庭崩壊の二重苦のなかで書いた『故旧忘れ得べき』(1935)が第1回の芥川賞候補作となり,一躍注目を浴びた。評論『描写のうしろに寝てゐられない』(36)で饒舌的説話形式を主張して既成リアリズムの克服を目指し,長編『如何なる星の下に』(39~40)や評論『文学非力説』(41)によりインテリ作家として独自の地位を築いた。第2次世界大戦後は長編『激流』(1部,59~63,2部,63,未完),『いやな感じ』(60~63)などで現代史の動乱のなかに自己を相対化することに成功。戦争中の41年1月から65年の死の直前まで書き継いだ日記『高見順日記』(64~66),『続高見順日記』(75~77)は,昭和史の貴重な記録となった。そのほか鎌倉文庫の経営,日本近代文学館の創設や資料収集に尽力した。没後文化功労者追贈。 (引用元 コトバンク)