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木之本興三 氏(きのもとこうぞう)

元男子サッカー選手、元Jリーグ専務理事[日本]

2017年 1月15日 死去鬱血性心不全享年69歳

木之本 興三(きのもと こうぞう、1949年1月8日 - )は千葉県出身の元サッカー選手。
選手時代は古河電気工業サッカー部(現在のジェフユナイテッド市原・千葉)に在籍。
引退後日本サッカーリーグ(JSL)事務局長、総務主事を務め、森健兒と共に、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)創生のほとんどを担った。
Jリーグ発足後は社団法人日本プロサッカーリーグ理事及びジェイリーグ映像株式会社、ジェーリーグフォト株式会社、株式会社ジェイリーグエンタープライズ社長を兼任した。
日本サッカー協会ではワールドカップ2002年大会に向けた強化推進本部副本部長を務め、本大会では日本代表団長となった。
本大会を直前に控えてフィリップ・トルシエが選考した23人のメンバーを発表した。
大会期間中、ホテルで意識を失ったり、バージャー病に冒されたことが判明した。
2003年、当時の川淵三郎日本サッカー協会会長、及び鈴木昌Jリーグチェアマンに解任される。
現在は(株)エス・シー・エス代表取締役、フクダ電子アリーナ名誉会長、アブレイズ千葉SC代表を務め多忙な日々を送っている。

元サッカー選手、元Jリーグ専務理事。1949年1月8日、千葉県生まれ。東京教育大学(現筑波大学)を卒業後、72年より古河電工(現J2ジェフユナイテッド市原・千葉の前身)で活躍したが、75年にグッドパスチャー症候群を発症し腎臓を全摘出、現役引退した。83年、日本サッカーリーグ事務局(当時)に入り、事務局長や総務主事を歴任、川淵三郎らと日本サッカーのプロ化に尽力する。91年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が創設されると、同年11月常務理事に就任し、98年から2003年までは専務理事を務めた。専務理事退任後バージャー病を発症し、後に両脚を切断している。08年よりクラブチーム「アブレイズ千葉」の代表となった。13年には『日本サッカーに捧げた両足-真実のJリーグ創世記-』(ワニブックス)を出版している。17年1月15日、うっ血性心不全のため死去。享年68。 (2017-1-19) (引用元 コトバンク)