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吉田松陰(よしだしょういん)

幕末の志士、長州藩士、思想家[日本]

(安政6年10月27日没)

1859年 11月21日 死去斬首享年30歳

吉田松陰 - ウィキペディアより引用

吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。
山鹿流兵学師範。
一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。
私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者を育てた。
名前 幼時の名字は杉(本姓不明)。
幼名は寅之助。
吉田家に養子入り後、大次郎と改める。
通称は寅次郎。
諱は矩方(のりかた)。
字は義卿、号は松陰の他、二十一回猛士。
「二十一回」については、名字の「杉」の字を「十」「八」「三」に分解し、これらを合計した数字が「二十一」となること、および、「吉田」の「吉」を「十一口」、「田」を「十口」に分解でき、これらを組み合わせると「二十一回」となることによりつけられている。
生涯 文政13年(1830年)8月4日、長州萩城下松本村(現:山口県萩市)で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。
天保5年(1834年)、叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となるが、天保6年(1835年)に大助が死亡したため、同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けた。

幕末の勤王家・思想家・教育者。長州生。長州藩士杉百合之助の次男。山鹿流兵学師範吉田家を継ぐ。名は矩方、通称は寅次郎、別号に二十一回猛士。江戸に出て、安積艮斎、山鹿素水、佐久間象山らに学ぶ。安政元年下田の米艦に搭乗を計り失敗、投獄ののち生家に幽閉されるが、ここで松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら多くの門人を育てた。討幕論を唱え、老中間部詮勝暗殺を画策して投獄され、安政の大獄により獄中で刑死した。安政6年(1859)歿、30才。明治22年贈正四位。 (引用元 コトバンク)