種田山頭火(たねださんとうか)
俳人[日本]
1940年 10月11日 死去享年59歳
種田 山頭火(たねだ さんとうか、本名:種田 正一(たねだ しょういち)、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、日本の自由律俳句の俳人。
山頭火とだけ呼ばれることが多い。
山口県佐波郡(現在の防府市)生まれ。
『層雲』の荻原井泉水門下。
1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。
各地を放浪しながら1万2000余りの句を詠んだ。
概要=
JR防府駅てんじんぐち(北口)前にある種田山頭火像
自由律俳句の代表として、同じ『層雲』の荻原井泉水門下の同人、尾崎放哉と並び称される。
山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や兼崎地橙孫ら支持者の援助によって生計を立てていた。
その基因は、11歳の頃の母の投身自殺にある。
なお、「山頭火」とは納音(なっちん)の一つであるが、山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではなく「楊柳木」である。
「山頭火」は、30種類の納音の中で字面と意味が気に入った物を選んだだけであると『層雲』の中で山頭火自身が書いている。
また、「山頭」の定義には「火葬場」も含まれている。
このことから、「山頭火=火葬場の火」と解釈できるという説もある。
山頭火がこの意味を意識して名前を選んだ可能性について、山頭火の母親の死との関連性が指摘されている。
山頭火には「燃え上がる火山」という意味もある。
30歳の頃には、ツルゲーネフにかなり傾倒し、山 ……
種田山頭火が亡くなってから、84年と46日が経過しました。(30727日)