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末弘厳太郎 氏(すえひろいずたろう)

法学者[日本]

1951年 9月11日 死去享年64歳

末弘厳太郎 - ウィキペディアより引用

末弘 厳太郎(すえひろ いずたろう、1888年(明治21年)11月30日 - 1951年(昭和26年)9月11日)は、大正・昭和期の日本の法学者。
東京大学名誉教授。
正三位勲等 勲一等瑞宝章。
研究対象は、民法、労働法、法社会学。
川名兼四郎門下。

1888(明治21)年、大審院判事であった末弘厳石(すえひろいずし(げんせき))の長男として山口県に生まれる。
冬子夫人は数学者・政治家として活動した菊池大麓の三女。
菊池家を通じ、末弘家は箕作家と姻戚関係にある。
民法研究に多くの業績を残しただけでなく、労働法学の創始者にして法社会学の先駆とされる。
軽妙な語り口で書かれた『民法雑記帳』、『嘘の効用』等は法律専門家ではない一般人にもよく読まれた。

末弘は、ドイツ民法学全盛の時代の日本の民法学説を概念法学であるとして徹底的に批判し、民法学の転回をもたらした革命児である。

すえひろいずたろう [生]1888.11.30.山口[没]1951.9.11.東京法律学者。父末弘厳石(いずし)は大審院判事。東京大学卒業後,1921年より東京大学教授。民法講座を担当。20年ヨーロッパ,アメリカ留学より帰朝後,日本の伝統的なドイツ流解釈法学を批判,社会学的法律学を展開,法社会学の開拓者となった。判例研究の重要性を説き,初めて判例研究会を組織,成果を『判例民法』(1922以降刊行)によって発表,法律実務にも大きな影響を与えた。また,日本労働法学の創始者の一人でもある。46年退官後,創設当初の中央労働委員会会長代理,のち,会長として同委員会運営の基礎を確立した。『物権法』(21,22),『農村法律問題』(24),『民法雑記帳』(40,49),『日本労働運動史』(50)など幾多の著作がある。 (引用元 コトバンク)

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