芸能人・経営者のおくやみ情報

蒋経国 氏

政治家、中華民国総統[台湾]

1988年 1月13日 死去糖尿病に起因する臓器疾患享年78歳

蒋経国 - ウィキペディアより引用

蒋 経国(しょう けいこく、蔣經國、1910年4月27日 - 1988年1月13日)は、中華民国の政治家である。
中華民国第6任・第7任(第6期・第7期)総統を務め、中国国民党中央委員会主席、中華民国行政院長、国防部長等を歴任した。
蒋経国は1910年4月27日(旧暦3月18日))、浙江省奉化県渓口鎮に、蒋介石、毛福梅夫婦の長男として生まれた。
父蒋介石は、蒋経国が生まれた時には日本にいて、軍事について学んでいた。
やがて蒋介石は辛亥革命以降の中国革命において、中心人物として活躍するようになる。
革命に奔走するようになった父、蒋介石は家に戻ることが少なくなり、もともと母が持ってきた縁談に従って結婚した妻、毛福梅との関係は疎遠になっていく。
蒋経国はもちろん母のことを慕い、家にあまり寄り付かなくなった父蒋介石も、蒋経国への教育は大変熱心であり、伝統的な中国の価値観に沿った教育を息子に施していく。
そして1921年、蒋介石は妻、毛福梅と離婚した後、翌年には蒋経国を上海に連れ出す。
これは離婚した毛福梅のもとに息子を置いておきたくなかったという事情とともに、閉鎖的な田舎にいては息子の見聞が広がらないと考えたことによる。

しょうけいこくJiangJing-guo [生]宣統2(1910).3.18.浙江,奉化[没]1988.1.13.台北中国,台湾の政治家。蒋介石の長男で,中国国民党政府の実力者。1925年ソビエト連邦に行き,モスクワ中山大学,紅軍中央軍事政治研究院に留学,ソ連人と結婚。1937年帰国,江西省政府保安処副処長,江西省第4行政区督察員兼保安司令,同省県長などを経て,1943年重慶の三民主義青年団中央幹部学校教育長。1945年より軍事委員長東北行営外交特派員。1948年より上海区経済督導弁事処助理督導に就任,腐敗やインフレの整理に努めたが,失敗した。1950年より台湾国防部総政治部主任,国防会議副秘書長,国防部副部長,国防部長,国家安全会議国家総動員委員会主任などを経て,1969年行政院副院長,1972年行政院長に就任。1972年以後,李登輝をはじめとする本省人の登用などで政治の台湾化を進めた。1975年の父の死後,国民党中央委員会主席兼中央常務委員会主席に選ばれ,1978年5月総統に就任,国家安全会議主席などを兼任。1980年代後半から野党の民主進歩党の成立を容認するなど政治改革を進め,1987年7月には38年間にわたってしかれた戒厳令を解除,同1987年11月台湾人の中国大陸訪問を許可した。 (引用元 コトバンク)