暁テル子(あかつきてるこ)
歌手、女優[日本]
1962年 7月20日 死去心臓麻痺享年42歳
暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 1962年7月20日、本名:関根 ひさ)は、昭和20年代に活躍した日本の歌手、女優。
愛称は「テリー」。
経歴=
東京・浅草生まれ。
SSK(松竹少女歌劇団)出身。
1933年(昭和8年)、子役でデビュー。
1939年(昭和14年)準幹部となり、並木路子らと4人のジョリー・シスターズで活躍。
1941年(昭和16年)古川ロッパ一座に入団。
東宝、松竹の舞台でも活躍。
戦後はアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)専属となり外国人兵から「テリー」と愛称で呼ばれ人気を博した。
1948年(昭和23年)大映と契約し、『春爛漫狸祭』で映画デビュー。
1949年(昭和24年)、照子からテル子に改名。
1949年(昭和24年)2月、ビクターレコード専属となり「南の恋唄」、「これがブギウギ」でデビュー。
これを作曲した“村雨まさを”は、服部良一のペンネームである。
1951年(昭和26年)発売の「ミネソタの卵売り」「東京シューシャインボーイ」は代表的ヒット曲になった。
また、ダンスで鍛えたプロポーションと底抜けの明るさで、ミュージカルコメディを初めとする劇映画でも活躍。
1957年(昭和32年)からは、NHKの「ジェスチャー」に出演するなど、テレビでも人気を博した。
1958年(昭和33年)、胸を患い事実上の引退となる。
1962年(昭和37年)7月20日、心臓麻痺により中野区江古田4丁目の自宅で死去。
41歳没。
元夫は元アメリカ陸軍将校でサ ……
暁テル子が亡くなってから、62年と130日が経過しました。(22776日)