エドアルド・キヨッソーネEdoardo Chiossone
版画家、画家[イタリア]
1898年 4月11日 死去享年66歳
エドアルド・キヨッソーネ(伊: Edoardo Chiossone、1833年1月21日 - 1898年4月11日)は、イタリアの版画家、画家。
明治時代に来日したお雇い外国人として知られる。
日本語では名がエドワルト、エトワルド、姓がキヨソネ、キヨソーネとも表記される。
生涯=
キヨッソーネはイタリアのアレンツァーノ(ジェノヴァ県)で代々製版・印刷業を営んでいた家系に生まれる。
14歳からリグーリア美術学校で銅版画の彫刻技術を学び、22歳で卒業、特別賞を受賞し教授となった。
1867年開催のパリ万国博覧会に出品した銅版画は銀賞を受賞している。
その後紙幣造りに興味を持ちイタリア王国国立銀行に就職し同国の紙幣を製造していたドイツのフランクフルトにあったドンドルフ・ナウマン社に1868年に出向した。
当時ドンドルフ・ナウマン社は日本の明治政府が発注した政府紙幣(明治通宝)を製造しており、彼も製造に関わっていた。
キヨッソーネが来日したのは1875年(明治8年)のことであったが、当時彼はイギリスの印刷会社に勤めていた。
招聘に応じたのは大隈重信が破格の条件(月額454円71銭8厘)を提示したこともあったが、当時写真製版技術の発達が進んでいたこともあり、銅版画の技術を生かせる活躍の場を求めたこともある。
一方、樹立間もない明治政府にとって偽造されないような精巧な紙幣を製造するのは大きな課題であり、このままドンドルフ・ナウマン社に紙幣印刷を依頼するのは経費 ……
エドアルド・キヨッソーネが亡くなってから、126年と229日が経過しました。(46251日)