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山本一義 氏(やまもとかずよし)

プロ野球選手、監督[日本]

2016年 9月17日 死去尿管がん享年79歳

山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2016年9月17日)は、広島県広島市皆実町(現:南区皆実町)出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
経歴= プロ入り前= 父親は中国新聞社の人事部長。
天満町で生まれ、原爆投下時は広島市郊外の三入へ疎開していて自身は無事であったが、父は通勤途中に被爆した。
小学5年時に皆実町へ引っ越し、1950年1月15日に広島西練兵場(現在の広島県庁舎付近)で行われた広島カープ結団披露式に父に連れられ見に行く。
広島市立翠町中学校では同郷で2学年下の張本勲と知り合いになり、対戦経験(投手・山本相手に張本が三振)があるほか、山本が張本に広島商業入学を誘ったこともあった。
中学卒業後の1954年に広島商業高校へ進み、超高校級スラッガーとして鳴らした。
3年次の1956年夏の県予選では13打席で10回敬遠され、やっと勝負してきた初球を本塁打にしたという逸話も残る。
投手としても実績を残し、2年次の1955年の秋季中国大会決勝では大社高を完封している。
3年次の1956年には同期のエース上土井勝利(卒業後広島カープに入団)を擁し、甲子園に春夏連続出場。
春の選抜では1回戦で県岐阜商の清沢忠彦に抑えられ惜敗し、夏の選手権でも初戦となった2回戦で済々黌高に敗れる。
高校卒業後は1957年に法政大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは1年次の同年からレギュラーとなる。
4年次の1960年春季リーグでは4番打者 ……

山本一義さんが亡くなってから、8年と69日が経ちました。(2991日)