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横山ノック 氏(よこやまのっく)

お笑いタレント司会者政治屋[日本]

2007年 5月3日 死去中咽頭がん享年76歳

横山 ノック(よこやま ノック、本名:山田 勇(やまだ いさむ)、1932年〈昭和7年〉1月30日 - 2007年〈平成19年〉5月3日)は、日本の漫才師、お笑いタレント、司会者、政治家。
個人事務所のやまだ真企画に所属していた。
北海道旭川市生まれ、兵庫県神戸市生田区相生町出身。
血液型はO型。
3人兄弟の長男(弟2人)。
愛称は「ピッカリくん」「タコ小僧」「明石のタコ」「ノック先生」。
立川談志一門でもあり、「立川禿談次」という高座名も持つ。
政治家として参議院議員、大阪府知事を歴任した。
来歴= 1932年1月30日午前5時27分、北海道旭川市にて出生し、船員であった父の仕事で生後まもなく兵庫県(現在の神戸市兵庫区)へ転居。
学歴は神戸市立楠木高等小学校卒業。
高等小学校(現在の中学校に相当)のみを卒業した政治家であった。
高等小学校卒業後に米軍施設に勤務しており、本名をもじった「サミー」と呼ばれていた。
若手時代= 1955年に宝塚新芸座に入団と同時に秋田Aスケ・Bスケの2代目Bスケに弟子入りし、三田久として初舞台を踏む。
その後、兄弟子のOスケ(のちの平和ラッパ・日佐丸の三代目平和日佐丸)と秋田Kスケの名で漫才コンビ「秋田Oスケ・Kスケ」を結成。
京都新京極・富貴で初舞台。
1958年に松竹芸能に移籍。
だが、Kスケに水面下で大宝芸能への移籍話が持ち上がり、松竹芸能に残留したOスケと袂を分かつことになる。
この頃の芸風はドタバタ系 ……

横山ノックさんが亡くなってから、17年と207日が経ちました。(6416日)

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