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深田久弥(ふかだきゅうや)

登山家作家[日本]

1971年 3月21日 死去脳卒中享年69歳

深田久弥 - ウィキペディアより引用

深田 久弥(深田 久彌、ふかだ / ふかた きゅうや、1903年〈明治36年〉3月11日 - 1971年〈昭和46年〉3月21日)は、石川県大聖寺町(現・加賀市)生まれの小説家、随筆家および登山家、チベット・ヒマラヤ研究家である。
概要= 戦前は小説家、編集者として活躍し、戦後は主に山やスキーに関する随筆をもって著名がある。
山をこよなく愛し、読売文学賞を受賞した著書『日本百名山』は特に良く知られている。
俳号も山の入った九山であり(愛称である「久さん」のもじりで、荏草句会の永井龍男による命名)、自宅の書斎を兼ねた書庫には「九山山房」の名があり、山房の主とも称した。
1971年(昭和46年)3月21日、登山中の茅ヶ岳山頂直下で脳卒中のため68歳で死去。
その場所には『深田久弥先生終焉の地』と表記された石碑が立っている。
命日の3月21日は「九山忌」と称される。
「深田クラブ」により100名山を加えて200にした日本二百名山もある。
経歴= 1903年(明治36年)3月11日、石川県江沼郡大聖寺町字中町(現・加賀市)で紙商・印刷業を営む深田屋の長男として生まれる。
白山を眺めて育ち、医師の稲坂謙三が作った大聖寺学生会の集まりで12歳の時に地元の多くの小中学校の遠足コースであった加賀市南西部の福井県境に近い富士写ヶ岳(942メートル)へ登ったのがきっかけで登山に興味を持ったと自書で述懐している。
小学校の裏に錦城山(60メートル)があり、「錦城山の如く美しい心を ……

深田久弥が亡くなってから、53年と252日が経過しました。(19610日)