小松方正 氏(こまつほうせい)
俳優[日本]
2003年 7月11日 死去敗血症享年78歳
小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月4日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、日本の俳優、声優。
本名は小松 豊成(こまつ とよしげ)。
経歴=
長野県松本市出身。
生まれつき体が弱く、3歳の頃に肺炎を患い生死の境をさまよったことがあるという。
小学校卒業後、叔父を頼って上京し昌平中学に入学した。
卒業後、満鉄の技術員養成所に入るが、結核を患って退社する。
1945年(昭和20年)、終戦直前に海軍へ入り、同年8月6日の原爆投下の前日まで広島市にいた。
東京の警備隊に転勤となり前夜8月5日、最終列車で東京に向かう。
新型爆弾投下をラジオで聞いた場所は、空襲の影響で列車が止まった静岡県掛川駅だった。
その後、大蔵省管理局へ転官になり、東京の海軍功績調査部で終戦を迎える。
大蔵省時代は役人向けの小さな新聞の記者も担当しており、はじめてのインタビュー相手が当時映画『善魔』でデビューしたばかりの三國連太郎であった。
この時の縁で小松は三國が原作・脚本・監督を担当した『親鸞 白い道』に僧侶・宇都宮蓮生役で出演している。
大蔵官僚になったものの、周りは東大出身者ぞろいで将来を危ぶみ、せめて大学を出たいと、中央大学専門部法学科に大蔵省の役人のまま入学した。
この頃大蔵省の演劇サークルに入り、文化祭で発表した舞台『故郷』にケルレル参事官役で出演した。
これが初めての舞台出演となり、演劇の世界に魅了されていっ ……
小松方正さんが亡くなってから、21年と139日が経ちました。(7809日)