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高松宮宣仁親王 氏(たかまつのみやのぶひとしんのう)

皇族[日本]

1987年 2月3日 死去肺がん享年83歳

高松宮宣仁親王 - ウィキペディアより引用

高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905年(明治38年)1月3日 - 1987年(昭和62年)2月3日)は、日本の皇族。
大正天皇と貞明皇后の第三皇子。
今上天皇の叔父にあたる。
有栖川宮の祭祀を継承。
妃は公爵・徳川慶久の次女・喜久子。
御称号は光宮(てるのみや)。
身位は親王。
お印は若梅(わかうめ)。
栄典は大勲位功四級。
生涯 有栖川宮との関係 1905年(明治38年)1月3日、当時の皇太子嘉仁親王の第三皇子として青山東宮御所で誕生。
幼称(御称号)を光宮(てるのみや)といった。
高松宮は四親王家の一つ、有栖川宮の旧宮号であるが、宣仁親王が有栖川宮の祭祀を継承したのには故がある。
1913年(大正2年)、有栖川宮第10代・威仁親王が後嗣・栽仁王に先立たれたまま薨去したが、当時は旧皇室典範によって皇族の養子縁組が禁じられていたため、有栖川宮は断絶が確定した。
しかし、大正天皇は、幟仁、熾仁、威仁三親王の幕末以降の功労に鑑み、威仁親王薨去の翌日(10日まで喪が秘されたため、公には「御重体」のまま)である7月6日に特旨をもって当時8歳だった第三皇子の宣仁親王に高松宮の号を与え、有栖川宮の祭祀を将来的に宣仁親王に受け継がせることとなった。

たかまつのみや-のぶひとしんのう 1905-1987大正天皇の第3皇子。明治38年1月3日生まれ。母は貞明皇后。大正2年高松宮家を創立して有栖川宮(ありすがわのみや)家の祭祀(さいし)をつぐ。第二次大戦末期,国体護持を条件に和平工作を推進。戦後は日本美術協会,国際文化振興会の総裁,日本赤十字社名誉副総裁などをつとめた。昭和62年2月3日死去。82歳。海軍大学校卒。幼称は光宮(てるのみや)。 (引用元 コトバンク)