芸能人・経営者のおくやみ情報

岡田英次 氏(おかだえいじ)

俳優[日本]

1995年 9月14日 死去心不全享年76歳

岡田英次 - ウィキペディアより引用

岡田 英次(おかだ えいじ、1920年〈大正9年〉6月13日 - 1995年〈平成7年〉9月14日)は、日本の俳優。
千葉県銚子市生まれ。
身長166cm。
慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業。
来歴・人物= 1946年、村山知義の第2次新協劇団に入団。
1949年に『花の素顔』で映画デビュー。
1950年、今井正監督の『また逢う日まで』で久我美子の相手役を演じたことで一躍注目を浴びる。
「新協劇団」分裂後の1954年、劇団青俳を木村功らと設立。
後に現代人劇場を経てフリーに。
『真空地帯』『ここに泉あり』などの話題作に次々と出演したほか、1959年にはアラン・レネ監督の『二十四時間の情事』に出演。
世界的にも知られることに。
主演した『砂の女』(1964年)は海外の映画祭やアカデミー賞で高評価された。
テレビドラマでは『樅ノ木は残った』『俺たちの旅』『チロルの挽歌』などに出演した。
その日本人離れした彫りの深い整った風貌から「和製ジャン・マレー」と云われ、親しまれた。
1995年9月14日、心不全のため死去。
75歳没。
従妹は遠藤周作と結婚した。
息子は翻訳家の岡田壯平。
出演= 映画= 『また逢う日まで』(1950年)。
右は久我美子。
『ここに泉あり』(1950年)。
左は岸恵子。
『山びこ学校』(1952年) 『おかあさん』(1952年)。
左は香川京子。
『二十四時間の情事』(1959年) 花の素顔(1949年、松竹) 女の顔(1949年、太泉映画) また逢う ……

岡田英次さんが亡くなってから、29年と74日が経ちました。(10666日)