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男女ノ川登三(みなのがわとうぞう)

相撲力士・第34代横綱[日本]

1971年 1月20日 死去享年69歳

男女ノ川登三 - ウィキペディアより引用

男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 - 1971年1月20日)は、茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)出身で佐渡ヶ嶽部屋(入門時は高砂部屋)に所属した大相撲力士。
第34代横綱。
本名は坂田 供次郎(さかた ともじろう(きょうじろう))。
来歴= 誕生~初土俵、入幕= 1903年9月17日に茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)で農家を営む一家に三男として生まれる。
元々は屋根の修理屋で働いていたが、ある時修理中の屋根を踏み抜いてしまい、その力の強さに驚いた周囲の勧めで地元の相撲大会に出場するといきなり優勝してしまった。
そのまま筑波郡大会・茨城県大会でも優勝し、自信を持って力士を志すようになった。
そんなある日、偶然茨城県へ巡業に来ていた阿久津川高一郎を訪ねて入門を志願するものの、最初は厳しい稽古の話に終始したため諦めて戻るが、力士を目指す気持ちが全く揺るがなかったために4度訪問して、ようやく入門を許可された。
当初は富士ヶ根部屋に入門する予定だったが、1923年9月1日の関東大震災によって部屋が焼失したため、同じ一門の本家である高砂部屋に入門した。
四股名は出身地である茨城県筑波郡と、百人一首でもお馴染みである「つくばねの みねよりおつる みなのがわ‥」から男女ノ川 供次郎とした。
1924年1月場所で初土俵を踏むと、負け越し知らずで1927年1月場所には新十両昇進、1928年1月場所で新入幕を果たした。
1929年5月 ……

男女ノ川登三が亡くなってから、53年と307日が経過しました。(19665日)