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鶴岡一人 氏(つるおかかずと)

プロ野球選手、監督[日本]

2000年 3月7日 死去心不全享年85歳

鶴岡一人 - ウィキペディアより引用

鶴岡 一人(つるおか かずと(かずんど)、1916年7月27日 - 2000年3月7日)は、広島県呉市東二河通(現:西中央)出身 のプロ野球選手(内野手)・監督、野球解説者。
1946年から1958年までは「山本 一人(やまもと かずと)」。
愛称は鶴岡親分またはツルさん。
初代ミスターホークス、ドン鶴岡とも呼ばれた。
南海ホークスの黄金時代を築いた名監督で、日本プロ野球史を代表する指導者の一人。
史上最多勝監督。
現役時代 1年先輩である浜崎忠治(浜崎真二の弟)と仲間になり野球を始める。
同学年の藤村富美男は呉市の隣の小学校で当時からのライバルであった。
鶴岡は広島商業学校に進学し、1931年に遊撃手として第8回選抜中等野球大会で全国制覇、1933年の第10回選抜大会はエース兼4番打者としてベスト4。
1931年、選抜優勝校に特典として主催の大阪毎日新聞社から与えられたアメリカ遠征に参加し、ハイスクールやノンプロのチームと対戦した。

つるおかかずと [生]1916.7.27.広島,呉[没]2000.3.7.大阪プロ野球選手,監督。東京六大学リーグで法政大学の中心選手として活躍。1939年に卒業し南海に入団すると,新人ながら主将をまかされ,10本のホームランを放ち本塁打王となった。翌1940年陸軍に召集される。第2次世界大戦後の1946年から7年間をグレートリング(1946年),南海ホークス(1947年以降)でプレーイング・マネージャー(監督兼選手)として活躍。捕球してノーステップで投げるサードの守備は大阪のファンの心をとらえ,最高殊勲選手に3度選ばれた。現役引退後も1968年まで南海を率い,リーグ優勝11回,日本シリーズ優勝2回の成績を残した。特に1959年の読売ジャイアンツ(巨人)との日本シリーズでは4連勝で優勝し,祝勝パレードは「涙の御堂筋パレード」としてファンの記憶に残る。「親分」のニックネームで慕われ,「グラウンドには銭が落ちとる」とのことばが有名。 (引用元 コトバンク)