白籏史朗 氏(しらはたしろう)
山岳写真家[日本]
2019年 11月30日 死去腎不全享年87歳
白簱 史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - 2019年11月30日)は、日本の山岳写真家。
ヒマラヤを始めとする世界の峰、日本国内の名峰を四季にわたって数多く撮影し、発表してきた。
特にライフワークとして南アルプスの写真を多く撮影している。
略歴=
1933年(昭和8年)2月23日 - 山梨県北都留郡広里村(現大月市)に生まれた。
育った土地の周囲は全て山であったという。
1945年(昭和20年)3月 - 大月東小学校を卒業した。
8月13日 - 空襲で自宅が半焼した。
1948年(昭和23年)3月 - 大月東中学校を卒業した。
進学希望はあったが家庭の事情で高校には進学せず家事を手伝っていた。
1951年(昭和26年)1月 - 父に写真志望を打ち明け、協力を求めた
3月下旬 - 岡田紅陽と面会。
父からの熱心な願いに根負けしたのか「とにかくよこしてみなさい」ということになったという。
4月15日 - 岡田紅陽に師事、5年間内弟子として過ごした。
この5年間で自主的な山行は生まれ故郷付近の低山を日帰りで3回に留まった。
7月13日 - 岡田紅陽の荷物持ちで富士山に登り南アルプスを遠望して、山岳写真を生涯の職業とする旨思い定めた。
1952年(昭和27年)8月 - 岡田紅陽の荷物持ちで赤抜沢の頭から北岳を見て、一生を山に生きる決心をした。
1958年(昭和33年) - フリーランスの写真家として独立した。
しかし対人関係に疎く、騙されることも多く、何度も職を変えた。
1961年(昭和36年) - 『山と溪 ……
白籏史朗さんが亡くなってから、4年と357日が経ちました。(1818日)