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堀田善衛 氏

芥川賞作家[日本]

1998年 9月5日 死去享年81歳

堀田善衛 - ウィキペディアより引用

堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 - 1998年〈平成10年〉9月5日)は、日本の小説家、評論家。
来歴・人物 富山県高岡市出身。
父は富山県会議長の堀田勝文、母は大正年間に富山県で初めて保育所を創設した堀田くに。
経済学者で前・慶應義塾大学商学部教授の堀田一善は甥にあたる。
生家は伏木港の廻船問屋であり、当時の北前船の日本海航路の重要な地点であったため、国際的な感覚を幼少時から養うことができた。
旧制金沢二中から1936年に慶應義塾大学政治科予科に進学し、1940年に文学部仏文科に移り卒業。
大学時代は詩を書き、雑誌『批評』で活躍、その方面で知られるようになる。
戦争末期に国際文化振興会の上海事務所に赴任し、そこで敗戦を迎える。
敗戦直後、上海現地の日文新聞「改造日報」に評論「希望について」を発表。
同年12月に中国国民党中央宣伝部対日文化工作委員会に留用される。
翌年12月まで留用生活を送る。
1947年に引揚げ、世界日報社に勤めるが、会社は1948年末に解散する。
この頃は詩作や翻訳業を多く手がけていた。
アガサ・クリスティの『白昼の悪魔』の最初の邦訳は堀田によるものである。

小説家。 1918年、富山県高岡市に生まれる。慶應義塾大学仏文科卒業。1942年、国際文化振興会に就職し、1945年に中国に渡り上海で敗戦を体験する。その後、中国国民党宣伝部に徴用され、1947年帰国。1951年に『広場の孤独』『漢奸』などで芥川賞を受賞。受賞作である『広場の孤独』で描かれた、歴史の大きなうねりに翻弄されつつも時代と向きあおうとする人物像は、この後も一貫して作品の中に登場する。その後、長編では『歴史』『審判』『海鳴りの底から』『若き日の詩人たちの肖像』などを執筆。同時にアジア・アフリカ作家会議の事務局長、議長も歴任した。近代化していくスペインの変化の中で歴史の観察者として絵筆をとりつづけた『ゴヤ』四部作で大仏次郎賞を受賞。1977年より約10年間にわたってスペインに移住。その後も『定家明月記私抄』(正続)、『路上の人』、『ミシェル 城館の人』(全三巻)など、乱世の観察者たちを主役に、文明と歴史を考える作品を精力的に執筆した。1998年、80歳で死去。 怪獣映画『モスラ』の原作者の一人でもある。 (引用元 Hatena Keyword)