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生島治郎 氏

作家[日本]

2003年 3月2日 死去肺炎享年71歳

生島 治郎(いくしま じろう、1933年1月25日 - 2003年3月2日)は、日本の小説家。
本名、小泉 太郎(こいずみ たろう)。
筆名は結城昌治が考えた。
経歴・人物 上海生まれ。
敗戦後、1945年に長崎に引き揚げ、母の郷里金沢に移る。
その後、父が横浜で職を持ったため横浜に転居した。
中学3年から神奈川県立横浜翠嵐高等学校にかけての同期に青木雨彦と宮原昭夫がいた(ただし宮原は高校在学中に胸を患って数年間休学している)。
高校時代から小説を書き始め、早稲田大学第一文学部英文学科在学中は青木雨彦や高井有一や富島健夫と同じ同人誌に所属。
傍ら、港湾関係のアルバイトで肉体労働を経験する。
早稲田大学英文学科の同級に小林信彦がいた。
1955年卒業。
卒論のテーマはジョナサン・スウィフト。
空前の就職難に苦しんだが、大学の友人の紹介で美術評論家植村鷹千代の主宰するデザイン事務所に就職。
ここで知り合った画家勝呂忠の紹介により、約1年後に早川書房入社。
当時の上司(編集部長)に田村隆一がいた。
早川書房時代については『浪漫疾風録』に詳しい。
初代編集長田中潤司のもとで、江戸川乱歩監修による日本語版『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の編集に従事。

編集者・作家 1933年、上海生まれ。 2003年3月2日、死去。 作家の小泉喜美子は元妻。 早稲田大学文学部卒。 1959年、ミステリー雑誌(当時は「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」、現在の「ミステリマガジン」)の編集長。 1962年、早川書房を退社。 1964年『傷痕の街』でデビュー。現在の日本におけるハードボイルド小説の基礎を築いた。 1967年『追いつめる』で直木賞受賞。 (引用元 Hatena Keyword)