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内藤昌 氏

名古屋工業大学名誉教授・建築史[日本]

2012年 10月23日 死去老衰享年81歳

内藤 昌豊(ないとう まさとよ)は、戦国時代の武将。
武田氏の家臣で武田四天王の一人。
「内藤昌豊」の名で伝わるが、1977年に服部治則は正しい実名は「内藤 昌秀(まさひで)」であると指摘している。
生涯 出生から信玄時代 『武田三代軍記』によれば、大永2年(1522年)、武田信虎の重臣・工藤虎豊(下総守)の次男として生まれたという。
父・下総守の事跡は不明であるが、永正5年(1508年)に武田信虎に反乱して敗北し、郡内地方の小山田平三とともに伊豆国韮山の伊勢宗瑞(北条早雲)を頼って逃れた人物に「工藤殿」がおり、これが下総守に相当するとも考えられている。
初見史料は永禄2年(1559年)6月12日で、「工藤源左衛門大尉」を名乗り信玄の側近として活動していることが確認される。
永禄6年頃から永禄13年頃まで信濃国深志城を守備している。
『甲陽軍鑑』によれば、永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いでは本隊に所属し、上杉軍の背後を襲う妻女山別働隊の大将として活躍したという。

内藤 昌氏(ないとう・あきら=名古屋工業大名誉教授・建築史)23日午後7時43分、老衰のため横浜市の自宅で死去。80歳。長野県出身。葬儀は28日午前10時30分から横浜市港北区新横浜1の7の5の「くらしの友・新横浜総合斎場」で。喪主は長男真備(まきび)氏。 城郭を中心とした近世の建築を研究。安土城などに関する文献を残した。