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河上彦斎

熊本藩士[日本]

1872年 1月13日 死去斬首享年39歳

河上彦斎 - ウィキペディアより引用

河上 彦斎(かわかみ げんさい、天保5年11月25日〈1834年12月25日〉 - 明治4年12月4日〈1872年/明治5年1月13日〉)は、尊皇攘夷派の熊本藩士である。
諱は玄明(はるあきら)。
幕末の四大人斬りの一人とされる。
明治維新後も攘夷を強固に主張しつづけたため、藩と新政府に危険視され、斬首された。
生涯 肥後細川藩熊本城下の新馬借町(現在の熊本市中央区新町3丁目)で、下級藩士小森貞助とその妻和歌の次男として生まれた。
初め名前は彦次郎であった。
同藩の同じく下級藩士の河上源兵衛(または彦兵衛)の養子となり、名を彦斎と改めた。
16歳で茶坊主として藩主邸の花畑屋敷で召し抱えられ、藩主に近習。
掃除坊主から国老附坊主に出世した。
儒学者轟武兵衛や国学者林桜園に師事し、神風連の太田黒伴雄や加屋霽堅とともに、兵法を宮部鼎蔵に学んで、尊皇攘夷の思想を固めたのもこの頃で、彦斎は特に強硬な攘夷論者であった。
文久の頃より、清河八郎等と交わり尊皇攘夷派として活動。
蓄髪して僧籍を脱する。
文久3年(1863年)、熊本藩親兵選抜となり、宮部鼎蔵らと同格の幹部に推された。

幕末四大人斬りの一人。肥後出身。 佐久間象山を暗殺した人物とされている。 (引用元 Hatena Keyword)