大山康晴 氏(おおやまやすはる)
将棋棋士、十五世名人[日本]
1992年 7月26日 死去肝臓がん享年70歳
大山 康晴(おおやま やすはる、1923年(大正12年)3月13日 - 1992年(平成4年)7月26日)は、将棋棋士。
十五世名人。
棋士番号26。
木見金治郎九段門下。
主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代2位)、通算1433勝(歴代2位)等がある。
永世名人・永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将の5つの永世称号を保持。
順位戦A級に在籍しながら、1976年(昭和51年)12月から1989年(平成元年)5月まで日本将棋連盟会長を務めた。
弟子には有吉道夫、中田功、行方尚史などがいる。
1990年(平成2年)には将棋界から初めて文化功労者に選ばれた。
正四位勲二等瑞宝章。
岡山県倉敷市出身で、倉敷市および青森県上北郡おいらせ町の名誉市民・名誉町民。
生涯=
生い立ち - 戦前期=
1923年(大正12年)3月13日、岡山県浅口郡河内町西阿知(現・倉敷市)に生まれる。
5歳頃から将棋を覚え始める。
才能を注目されて、1935年(昭和10年)に大阪に出て、同じく岡山県出身の木見金治郎八段(当時)に入門し、内弟子となる。
同1935年、創設されたばかりの関西奨励会に6級で参加。
順調に昇段し、1937年(昭和12年)には二段になった。
二段時代に、中外商業新報(のちの日本経済新聞)の主催の若手勝ち抜き棋戦において、初の公式戦を体験する。
木見門下の兄弟子に大野源一、角田三男、そして終生のライバル升田幸三がいた。
内弟子時代、はじめは兄弟子の ……
大山康晴さんが亡くなってから、32年と120日が経ちました。(11808日)