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安国寺恵瓊(あんこくじえけい)

外交戦国大名[日本]

(慶長5年10月1日没)

1600年 11月6日 死去斬首享年歳

安国寺恵瓊 - ウィキペディアより引用

安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗の僧で、武将および外交僧。
道号(字)は瑶甫、法諱(諱)は恵瓊、号は一任斎または正慶。
“安国寺”は住持した寺(安芸安国寺(不動院))の名で、安国寺恵瓊はよく知られた別名であり、禅僧としての名乗りは瑶甫 恵瓊(ようほ えけい)という。
毛利氏に仕える外交僧として豊臣(羽柴)秀吉との交渉窓口となり、豊臣政権においては秀吉からも知行を貰って大名に取り立てられたとするのが通説だが、異説もある。
生涯 生年には諸説があり、天文8年(1539年)とも天文6年(1537年)ともいわれる。
父親に関しても安芸武田氏の一族である武田信重(光広)の子とも、伴繁清の子とも伝わる。
東福寺時代 天文10年(1541年)、毛利元就の攻撃で安芸武田氏が滅亡すると、家臣に連れられて脱出し、安芸の安国寺(不動院)に入って出家した。
その後、京都の東福寺に入り、竺雲恵心の弟子となる。
恵心は毛利隆元と親交があったため、これがきっかけとなり毛利氏と関係を持つこととなった。

安土・桃山時代の臨済宗の僧東福寺二百二十四世。安芸生。恵瓊は法諱、道号は瑶甫、号は一任斎・正慶、俗姓武田、幼名竹若丸。安国寺竺雲慧心につき出家、上洛後東福寺に入る。安国寺住持・東福寺退耕庵主を経て、東福寺・南禅寺の住持となる。毛利氏の外交僧として活躍、毛利・豊臣両氏の間の和睦に尽し、以後秀吉に重用される。慶長5年(1600)寂、63才。(一説に64才)。 (引用元 コトバンク)