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足利直義

武将[日本]

(足利尊氏の弟、正平7年2月26日没)

(ユリウス暦) 1352年 3月12日 死去享年47歳

足利直義 - ウィキペディアより引用

足利 直義(あしかが ただよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての武将。
河内源氏義国流、足利氏の嫡流・足利貞氏の三男。
室町幕府初代将軍、足利尊氏の同母弟。
足利将軍家の一門。
世に副将軍と称される。
兄・尊氏の覇業を補佐して室町幕府創設に貢献し、兄弟による二頭政治によって政権の基礎を固めた。
しかし観応の擾乱で失脚し、復権を企んで政敵の高師直一族を討ち果たした。
しかし尊氏とも対立し、後に毒殺ともされる急死を遂げた。
生涯 倒幕から幕府創設まで 次兄の高氏(尊氏)と同じく父の側室である上杉清子が産んだ子で、母は北条氏ではない。
足利氏の慣例に従い、二人の兄同様に初めは、得宗(鎌倉幕府執権)・北条高時より賜った偏諱と祖先にあたる源義国の一字により高国(たかくに)と名乗るが、平家方の北条氏が実権を握る幕府に叛旗を翻して後は河内源氏の通字である「義」を用いた忠義(「ただよし」)、直義(「ただよし」)に改名する。

南北朝時代の武将。尊氏の弟。初名は高国。元弘の乱において尊氏と行動をともにし、建武の新政で左馬頭・相模守となる。北条時行の乱に際して鎌倉に幽閉していた護良親王を殺害。室町幕府成立に伴い尊氏を補佐して政務を担当、守護級の足利一門や寺社本所勢力の支持を得たが、急進派の高師直と対立、尊氏とも袂を別ち、鎌倉で尊氏に討たれた。正平7年(1352)歿、47才。 (引用元 コトバンク)